キングダムに学ぶ組織のあり方
キングダムという映画を観ました。
マンガは読んだことがなかったので、映画はかなり衝撃がありました。
組織経営やリーダーシップなど、
仕事をする上で必要なことだけなく
自分の生き方に対する大きなショックがありました。
生きてるか死んでいるかが重要じゃない
どんな生き方をしたいのか
何を成し遂げたいのか
中途半端に生きていてはダメだと
自分の精神にカツが入りました。
自分の人生を何に使うのか
自分以外の何かのために
命を懸けることができる人生を送りたい
心からそう思いました。
そうは言っても、これまでの自分のまま
たった一人で勝負に出ることは困難なので
同じ夢を命懸けで追える仲間が必要。
そんな人が多ければ多いほどパワーになるのは
人間は、人と人の間と書くことからも言える
人が増えると間の増えるので
パワーになります。
割れない仲間をつくることが大事です。
Bigビジョンで生きる
令和に入っていろんな変化を感じます。
予測不可能な時代だから
ビジョンはもたない、持つと囚われるから
目標や計画を立てて走るのは古いやり方だ
という意見も出てきています。
なるほど、ビジョンを持つことで
そこに必死に向かっていくのはダサく
今は、どんなことが起きても柔軟性に対応できる
ことの方が大事で、ビジョンを掲げて頑張る人は
融通がきかないように見えるようです。
はたしてそうでしょうか。
実はビジョンは大きさが大事です。
先日話をしていて、一人を幸せにするより
社会全体の環境を変えてしまう方が早いという話し
を聞きました。
一人が幸せになるためには、
周りの環境が変わる必要があるから
環境という社会全体を変える方が先だということです。
では、どうしたら社会全体を変化させることができるのでしょうか。
一人ひとりバラバラの考えや感情を持ってしまう認識を
共通土台がもてる認識=すべてがひとつで理解できる
認識へと変化させることで可能になります。
みんなが一つの共通土台から、複雑性が生まれるしくみ
をわかることで、違いで戦い合うのではなく
違いを楽しんで生かし合うことができるようになるからです。
そして一番大きいビジョンを持って
目標計画を立てて、目の前の今ここを生きること
一番大きなビジョンだから
一部分ではなく、全員が幸せになる道に
進むようになる。
令和の時代はそんなBIGビジョンを
みんなで目指していくことで、働き方や
生き方が変わっていきますね。
平和を動詞で考える
平成から令和へ変わる年号とは
今日は、年号の変わる意味を考えてみました。
西暦の方がわかりやすいし、印刷物やコンピュータなど
変えなければならないものが多くて不便だと
思っていたときもありました。
でもこれは時代を色濃く映し出して
そんな時代だったという背景を含んで
いろんなイメージを呼び起こしてくれる。
年号ってどんなものがあるの?
最初の元号「大化」が制定された西暦645年(大化の改新)以降に、
250の元号が日本で制定されている。
ただしこれは、私年号や南北朝時代における両朝の元号双方を全て含めた数で、重複のない元号の数は、南朝で141、北朝で149。
明治以降は、天皇の皇位を継承する際にのみ改めることになったが、、明治以前は、不吉なことがあったり、病が流行するなどの理由で度々改元された。そのほとんどは1年から長くて十数年の非常に短い期間しか持続しなかった。逆に、新天皇が即位しても、改元しなかったり、日を置いて改元した場合も少なくなかった。
古代から江戸時代初期までは、各時代の中国暦を輸入したものが使われていた。江戸期において、西洋暦も参考にした日本人による暦が作られ始め、明治改暦により、グレゴリオ暦1873年(明治6年)1月1日からはグレゴリオ暦が使われ2019年(令和元年)現在に至っている。
- 元嘉暦(げんかれき) - 6世紀頃朝鮮半島の百済から伝えられた宋の時代の中国暦である。
- 儀鳳暦(ぎほうれき) - 中国暦で690年から元嘉暦と併用された。697年からは単独で使用された。
- 大衍暦(たいえんれき、だいえんれき) - 中国暦で764年から861年まで使われた。
- 五紀暦(ごきれき) - 中国暦で781年に日本に紹介されたが単独で使われることはなかった。
- 宣明暦(せんみょうれき) - 中国暦で862年から1685年まで使用された。
- 貞享暦(じょうきょうれき) - 初めて日本人により編纂された暦で1685年から1755年まで使われた。
- 宝暦暦(ほうりゃくれき、ほうれきれき) - 1755年から1798年
- 寛政暦(かんせいれき) - 1798年から1844年
- 天保暦(てんぽうれき) - 1844年から1872年
なんと、いろんな暦を参考にしてきていた
元号がたくさん使われていたので、
今のように天皇の代替わりで年号が変わることになったのは
明治からということです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)