認識技術に出会うまで Vol.2

出版社を閉めると同時に離婚をして、システムのベンチャー会社

で働きながら三人の子どもを一人で子育て始めました。

お給料がもらえても尊敬できない社長の元では働けないものですね。

 

毎日夜10時に帰るような仕事で猛スピードで走っていた私は

辞めよう!と決めました。

そしてある寒い冬の夜、仕事帰りの急ぎ足を止めて夜空を見上げてしまいました。

天を仰いで、どうしよう、会社辞めてこれから

「どこに向かっていけばいいんだろう、

何のために生きてるんだろう、

何のために生まれてきたんだろう」って

質問が一つにつながって、答えが出てきません

それがわからないのにこれから何をすべきか決められないと思いました。

 

思えばお同じ疑問を十代のころ持っていたのに、

仕事を始めてから生活と仕事の忙しさに飲み込まれて、

周りを見て少しでも優位に立とうと頑張っていた感じです。

 それまで「自分で選択して、自分で決めて、生きてきた」と思っていましたが、

ある人との出会いで、そうではないことが明確になりました。

 

何のために生きるのか

 

「人間は教育によってつくられる」とは言いますが、

確かに自分の中にある価値観や常識は自分で考えたというよりも

教育や社会がそう教えたものだったし、

自分が決めたことはその大きな枠組みの中で教えられた常識を基準に

組み合わせて考えていました。

みんなそうしてるから頑張るのが当たり前でしょ!と疑うこともなく。

それでうまくいけばいいのですが、私は限界にぶちあったっていました。

 

自分や会社に希望をもっていた時もあった、

でも状況が変われば自信もなくなってみたり

社会を見れば問題ばかり、パートナーシップもうまくいかない、

子どもに何を伝えて育てるのがベストかもわからなかった。

自分の考えや感情がどこからくるのかわからなかた。

人間とは何か、存在と何か、何のために生きるのか知りたかった。

 

そんな時、ある人との出会いで、「私は頑張り方が違ってた」

ことがはっきりわかりました。

賢い生き方がしたいと、いろいろチャレンジして経験したり

勉強してみても、全然自由になれなかったのは

 

知ってることが増えることはいい反面、「こうでしょ」と決めつけて

自分の観念の殻を強くしていくことにもなることがわかりました。

 

続きます